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色々な雑記。

完全な反社会的勢力なら、社会的道義なんてクソ食らえ、自分の身内と身内の仁義だけ守ればいい、で話が済むからシンプルだ。
ただ、鶴見勢力は一応は陸軍に所属したままだし、鶴見の部下に対する説明も不当に冷遇された第七師団の待遇向上と軍需産業育成による遺族を含めた北海道民の救済という一般社会と深く関わる大義を掲げている。だから話がややこしくなる。おまけにそれは部下に対する建前で、鶴見の本当の目的は無能な中央に代わって自分が日本繁栄を成し遂げることだ。鶴見勢力は一般社会の道義から分離された自分たち独特の仁義を持っているのでなく、政権転覆によって自分たちの考える仁義をそのまま一般社会の道義の座に上らせようとしていた。鶴見勢力の義を一般社会の義と直接結びつけようとした。
そのため逆説的に、鶴見勢力の中だけでは通用していた仁義でも、一般社会ではどうしても通用しない部分に修正を要求されても部外者の意見として跳ね除けられなくなってしまった。鶴見勢力の義で時代遅れな部分は最新の時流に合わせて修正するように要求されることに正統性が生まれた。
もし鶴見勢力が鶴見個人のみに属する完全に閉鎖された組織だったら、鶴見勢力の仁義は鶴見個人のみが掌握するものになっていた。だが鶴見が政権転覆と日本繁栄を大義としていたため、鶴見勢力の大義もある程度開かれたものにならざるを得なかった。そのために月島を開放するように請願した鯉登の言葉も意味を持つことができた。かつては月島を鶴見に従わせて死なせることが完全に正しかったとしても、これから先もそうとは限らない。かつて鯉登は月島に月島と鶴見を最後まで見届けると約束したが、列車では言い訳のしようもなくその誓いを破ってしまった。それでも鯉登が誓いよりも月島の命を優先したことが、長い目で見た場合に間違っていたとは限らない。いや、間違いではなかったことが証明された。