メモ帳用ブログ

色々な雑記。

宮崎駿監督なら前提となる文脈無しでも「人類が絶滅しても地球の生態系が存続すればそれでいいんだ」とか言い出す。なぜなら事故前の1984年に公開されたナウシカの打ち上げで、人類の滅びを描いてもいいのかとスタッフに詰め寄られた際にそういう反論をしていたという証言があるからだ。
でも宮崎監督は自分がロックなことを言ってる自覚はあるから、自分の代弁をさせるナウシカは作中でも慕われつつもヤバい思想の女という扱いだ。ナウシカも自分がヤバい自覚はあるから自分のヤバさやヤバさの結晶である地下室は他人からは隠していた。1994年に完結した漫画版でもそうしたロックさは一貫し、より鮮明になっている。
宮崎監督は自分が政治権力とは無縁だからこそ好き勝手に机上の空論を放言しているんだけど、万一宮崎監督の理想通りの国家運営が行われたとしたら、ポル・ポトはあれでも人格者として慕われていたという言葉の意味を思い知ることになるだろう。