メモ帳用ブログ

色々な雑記。

花沢幸次郎は尾形百之助とその母のトメに対して非道だった。本妻との息子である勇作には本物の愛情を注いだことがうかがえる描写が多いが、だからこそ尾形たちに対する格差ある態度は非道そのものだったと断言できる。
花沢の「貴様も頭のおかしくなった母親が哀れで 疎ましかったのだろう? 私と同じじゃっ」というセリフだけを読むと、花沢もトメの頭がおかしくなったために捨てたようにも読める。だがこのセリフはあくまで尾形の先の発言を受けたものだ。尾形はその前に「当時… 父上は近衛歩兵第1聯隊長陸軍中佐 近衛は天皇に直結する軍ですからね… 世間体を考えれば浅草の芸者とその子供は疎ましく感じたでしょう」と言っている。だから花沢のセリフはあくまで疎ましくてトメを目の前から消したのが貴様も私と同じという意味であり、花沢がトメを疎ましく思った理由が世間体であることを会話の流れで認めている。トメの頭がおかしくなったのは捨てられた後だろう。
尾形は先のセリフに更にこう続けている。「本妻との間に男児が生まれると 父上は母のもとにぱったり来なくなったと祖母から聞きました 祖母は母とまだ赤ん坊の俺を茨城の実家に連れ戻したそうです」。尾形のこうしたセリフからすると花沢はトメのことをちゃんと囲い者にしてすらいなかったように思える。おそらく芸者と通いの客という間柄のまま、尾形は生まれた。それでもまだ尾形が唯一の男児であった頃は花沢は尾形親子のもとを訪れていた。しかし勇作が生まれるとそれも途絶えた。「本妻との間に男児が生まれると」という言葉には、妾の息子でも跡継ぎにする可能性があった頃は多少目をかけたが、本妻から本物の跡継ぎとなる男児が生まれたから自分たちを捨てたんだ、という非難が含まれている。
尾形の祖母はそんな状態の尾形親子を実家で引き取って面倒を見たのだからいい人だろう。尾形がバアチャン子だというのも冗談半分ではなく8割くらい本気かもしれない。ファンブックによれば、尾形は祖母にご飯をくれる人として少し懐いていたそうだ。ただその祖母も尾形の望むような愛を与えることはできなかったが。それなりに裕福そうな家なのでトメは貧しくて芸者になったパターンではなく、もともと芸事が好きで自ら芸者になったパターンだと思われる。
鶴見は旅順で勇作を暗殺する指令を尾形に出した。理由は「勇作殿が消えれば百之助が父上から寵愛を受け花沢閣下を操れる」からだ。常識ではありえない心の動きなので、鶴見がなぜこんな指令を出したのか少し考える必要がある。この命令を疑わず遂行しようとしていたのも尾形と宇佐美という変わった精神構造の2人だ。ただ、勇作が亡くなったからと言って突然花沢が尾形を愛することはないにしろ、跡継ぎを失ってスペアの跡継ぎを求めて尾形に接近することはあり得た。鶴見はそうして尾形を通じて花沢を操ることを目論んでおり、寵愛については尾形を釣るための甘い嘘だった可能性なら一応皆無ではない。
鶴見は周囲から慕われる勇作に利用価値があると考えて暗殺指令を撤回するが、尾形はそれを違えて勇作を銃殺する。しかし「花沢閣下は見向きもしなかった!!」という。跡継ぎを失ったからといって、かつて手元に置いていたスペアをすぐにまた求める気にはなれないくらい、花沢にとって勇作はかけがえのない息子だった。
自分に見向きもしなかった父親を尾形は殺す。おそらく鶴見が尾形に寵愛という甘い嘘をぶら下げて勇作暗殺を命令した時点で、寵愛を受けられなかった尾形が花沢を殺害するところまでが計算ずくだったのだろう。
鯉登平二は親友だった花沢の「自刃」についてこう語っている。「花沢中将どんは切腹すっときオイへ手紙をくれもした 息子の勇作どんが最前線で戦死して 『愚かな父の面目を保ってくれた』と…」。花沢は自刃に見せかけて殺害されたのだからこの遺書は偽装されたもので間違いない。鶴見はこの遺書を鯉登平二が読むことで情のある親子だからこそ息子の命を惜しんではいけないと考えるように意識を誘導した。文面そのものからして捏造されている可能性が高い。軍人は戦死に備えて遺書を用意している場合があるとはいっても、満州での戦死に備えた遺書を確保し、日本の自宅にて勇作の仏壇の前で自刃した際の遺書と誤認させることは内容上無理がある。将校の遺書というのはそれなりの文章量があり、これまでの経緯やこれから周囲に頼みたいことなどに言及されているのが普通だ。もしかしたら「息子が最前線で戦死して愚かな父の面目を保ってくれた。だから私も自分の命を惜しんではいけない」くらいのごく簡潔な遺書だったなら誤魔化せるかもしれない。だがもし本当に花沢自筆の遺書が常識に反して限りなく言葉少ないものだったのだとしたら、花沢は自分の戦死に際して先に手本を示してくれた息子のこと以外は何も書き残すことがないというくらい勇作のことを愛していた証拠になる。
花沢幸次郎は尾形百之助にその愛を全く注がなかった。