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色々な雑記。

作中で五稜郭での戦いは旅順攻囲戦と重ねられている。杉元は第283話で旅順攻囲戦での経験に基づいて五稜郭の防衛について語り、鶴見は第287話で五稜郭攻囲戦という言葉を使っている。第289話のタイトルはずばり『五稜郭攻囲戦』だ。鶴見は旅順攻囲戦での経験に基づいて堡塁の厄介さを語っている。
また、この回では無謀な攻撃に駆り出された鯉登が味方の死体を盾にせざるを得ない状況に追い込まれる。旅順攻囲戦では鶴見もこのように無謀な攻撃に駆り出されて味方の死体を盾にせざるを得なかったことが第31話で描かれている。かつての鶴見の立場を今の鯉登がなぞり、かつて早期攻略を急かし無駄な犠牲を増やした大本営の立ち場を今の鶴見がなぞっている。この皮肉な構図は意図されたものだろう。
鶴見は日露戦争当時には既に政権転覆構想を持っていたし、日露戦争後には花沢を暗殺することで意図的に第七師団を冷遇させさえした。軍人である以上部下を全く犠牲にしないということはありえないし、鶴見は自分の立てた日本繁栄計画に基づいて部下を死なせたり、場合によっては粛清することにも躊躇がない。
それでも旅順攻囲戦での部下の無駄死にに対する憤りは本物だったはずだ。かつての鶴見は部下の命の使い所を決める立場だからこそ、自分は部下の命を無駄遣いしない指揮官になろうとしていたように思える。だが知らずしらずのうちにかつて嫌悪した命を浪費する存在に自分が成り果ててしまっていた。鶴見は列車の中でふと我に返りそのことを悟った。
鶴見の本当の目的はあくまで日本国の繁栄だ。妻子を犠牲にしようと、部下の命を浪費しようと、その目的を捨てることはありえない。それでも無駄死にしようとしている部下たちの命を助け、自分の道連れ、つまり同行者でいさせることを自ら断念できる程度にはかつての自分を思い出せた。かつての自分の志をより純粋に体現しようとしている鯉登と言葉を交わした影響は大きかったはずだ。だがしばらくは図星を突かれた反発のほうが強かったように思える。なんだかんだ特別に手間暇かけた部下だった尾形が自分の狙い通りとはいえ目の前で死んでいき、命の浪費について改めて実感できた影響も強かったのだろう。また単に、尾形が戦闘不能にならないと、尾形の企んだ列車事故による反乱分子全滅計画を阻止する選択肢が浮上しない。