メモ帳用ブログ

色々な雑記。

責任感と愛情のきずなで部下と互いに強く結びついている真に優秀な指揮官とは反対の、残虐行為を命じる指揮官と兵士について。かなり月島的。

全体主義国家の指導者は、部下を残虐行為に参加させることによって、寝返る恐れのまったくない手先を手に入れることができる。かれらの運命は、指導者の運命とひとつになる。みずからの論理と罪悪感の罠にはまった残虐行為の実行者には、<神々の黄昏>が訪れたときには、完全な勝利か完全な敗北か、ふたつにひとつの運命しか残されていない。

残虐行為による結束強化と資格付与のプロセスを経験すると、個々の成員はその集団にからめとられる。なぜなら、かれらの本性に気づくその他の勢力はみな敵対勢力になるからである。残虐行為を犯す者は、それが世間では犯罪と見なされることをもちろん承知している。だからこそ、民族国家レベルでは国民やマスコミを操作しようとするのだ。

残虐行為によって抑圧された人々は麻痺状態に陥り、服従と従順という学習性無気力状態に落ち込んでゆく。いっぽう、残虐行為を行う兵士のほうもこれと非常によく似た影響を受ける。残虐行為によって人の命の重みは著しく低下する。そして兵士は、自分自身の命の重みも同じように低下していることに気がつくのだ。

心のどこかで兵士は思う。「運が悪ければ自分もそうなったかもしれない」。そして腹の底からの共感をもって悟るのである――悲鳴をあげ、苦悶に身をよじり、ばったりと倒れ、血を流し、恐怖に打ちひしがれた人肉、自分もいつああなってもおかしくないのだと。