メモ帳用ブログ

色々な雑記。

黒山村のエピソードでは、黒山村の住人(白家の人間や三眼)は宗族などの儒教的な道徳観の悪い部分(魯迅たちいう人食い的な部分)に縛られていた。しかし最後に白小小は親しくしていた村の子どもである阿毛たちから親の仇として殺されることを選んだ。子どもたちは白小小と別の宗族に属する上に宗族間対立からすればむしろ仇の宗族に属している。白小小は阿毛たちに狭義の借りを持っていないどころか、むしろ子どもたちの世話をやいてやっていた白小小の方が子どもたちの恩人にあたる。それでも白小小は罪人として子どもたちの刃を受け入れることを選んだ。そうやって村の因縁に対して「これで終わりにしましょう」と考えた。
実感のない相手へ孝よりも、実際に親しんだ相手への愛を大切にしようということかもしれない?両親、祖父母や実際に交流のある家族の仇を取るのならともかく、全く見知らぬ先祖の仇に囚われるのも考えものということかな。