メモ帳用ブログ

色々な雑記。

日本の文化で育っているのに、デスノートを読んで作中のキラ信者もどきになったり、進撃の巨人を読んで作中のイェーガー派もどきになったりする人間もこの世にはいるだろう。まともな判断力のある人間なら、これらが作中で強大な暴力に思考を委ねてしまうだけの弱者として扱われているとわかるにも拘わらずにだ。もちろん弱者が新興宗教もどきの狂信者になってしまうのはそれだけ切実に救いを求めているからではあるのだけど。
一応、少年漫画はまだまともな判断力のない人間にも売るものでもある。だから紛らわしい表現は良くないという批判は全く的はずれなものとも言い難い。そうした事情もあってか両作とも主人公の行為は正しくなかったと作中の描写で断定され、主人公はその行為にふさわしい責任を負うことになった。
デスノートの深夜アニメ版ではやや主人公の罰が手緩くなっているのも狙いとしてはわかる。深夜アニメは週刊少年ジャンプよりもまともな判断力のある高年齢向けの作品だと主張できる余地が大きい。まともな判断能力がある人間向けだからこそ、主人公の過ちは過ちとして認めた上で、そこに至った経緯や理想に理解を示すことができる。または正しくないことは理解し、フィクションと割り切った上で、ろくでもない楽しみで一時的に気晴らしすることができる。
進撃の巨人週刊少年ジャンプよりも年齢層が上の別冊少年マガジンで連載された。だから原作からして主人公の過ちに理解を示す色彩が強い。それでも尋常な過ちではなかったことは幾度も強調されている。